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妻がいながら大胆に女遊び! それでも憎まれなかったカリスマ・伊藤博文の”スゴい人徳”とは(明治のゴシップ)

炎上とスキャンダルの歴史


現代、権力者や芸能人の女性問題は大きなスキャンダルになるが、明治期の日本は「エラい男」の女遊びに寛大だった。とくに初代内閣総理大臣・伊藤博文の遊び方は常軌を逸していたが、夜伽の相手をさせられた芸者たちは伊藤を好いており、非難の声があがることはなかった。彼女たちに対し、伊藤はどのような接し方をしていたのだろうか?


  

基本的に「プロ」と遊んだ伊藤

伊藤博文(歴代首相等写真【憲政資料室収集文書 1142】

 明治時代の日本は、「エラい男性」の女性問題に非常に寛大でした。この手の問題に厳しかったのは福沢諭吉くらいのものです。

 

 初代内閣総理大臣・伊藤博文いわく、「予は寡欲で、貯蓄ということを毛頭存ぜぬ。麗しき家屋に住もうという考えもなければ、巨万の財産を貯えるという望みもなく、ただ公務の余暇に芸妓を相手にするのが何よりの楽しみ」。

 

「お金を貯めこんだり、豪華なお屋敷に住むのには興味がない私は芸者と遊ぶのが唯一の楽しみ」というような意味なので、これくらい許してよ……といいたかったのでしょう。既婚者男性の「女遊び」を「ささやかな楽しみ」と捉えているのが明治という時代らしくて面白いですね。

 

 伊藤は一度寝た女性以外は信頼しなかったそうですが、彼は基本的に素人女性遊び相手にはしませんでした。伊藤の庇護を得て出世した教育者・下田歌子などのわずかな例はあるものの、あくまでプロの女性=芸者というところに彼なりのこだわりがあったのでしょう。

 

■「総理大臣と寝る」ことが出世につながった

 

 芸者の属する花柳界という世界は、自分を贔屓(ひいき)にしてくれた男性が「エラい男性」であればあるほど、ちょっと関係しただけでも女性たちが出世していけるという特殊な価値観がある社会です。「伊藤博文と寝た」という経歴は女性にとってプラスにしかならず、むしろ自分から大声で話すべき名誉の話題なのでした。

 

 伊藤のお手つき芸者だった樋田千穂も、大阪で「小吉」という名前で芸者をしていた明治33年ころ、「天下の伊藤公」と寝た女という事実を名刺がわりに花柳界で出世し、のちには東京・新橋の料亭(待合)「田中屋」の女将の座を手に入れています。

 

 同様に築地の待合「トンボ」の女将になった佐川琴女も、吉原の芸者時代に伊藤のお手付きだったことを得得として公言します。このような女性が日本中にいたのです。

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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